大変失礼な質問なんですが、高島さんは、秋刀魚を見事に美味しく、きれいに召し上がるとか。
(笑)。
選手権でしたっけ。
そうそう。秋刀魚を美味しくきれいに食べる選手権、一般部門ですよね。
そうです。”おかしらつき”を食べる。
高島さんとは長いお付き合いですが、ずっと覚えている高島さんの言葉で「魚の食べ方のきれいな女の子じゃなきゃ嫌だ」というのがあります(笑)。
それはありますね(笑)。
高島さんが考える、魚のきれいな食べ方ってどんなですか。
まず、骨と身がちゃんと離れている。
そして、食べられる部分はちゃんと食べている、ですかね。
女性だと魚の皮が苦手で食べない人がいますが、あれはちょっともったいないと思ってしまいます。
秋刀魚のわたの苦い部分もきちんと食べることが、選手権ではきっと必須ですよね。
秋刀魚の良さをわかっているということですから。秋刀魚のわたを食わずに、何を食うって話じゃないですか。
高島さんは魚の食べ方をどのように会得したのでしょうか。
食べ終えて残ったものは美しく見えるんですが、実は、その過程はあんまり美しくなくて・・・・・・・・・。骨を舐めるんです。
それ、やってもいいんですね! だけど僕だったら、中まで火入れした秋刀魚だったら、骨だけでお酒2杯くらい飲める気がします。
魚って骨が美味しいんですよね。
スペアリブはしゃぶりますからね。そう考えると、魚の骨をしゃぶるのは変なことではありませんよね。
ナメタガレイの煮物も、骨しゃぶると店の親方が喜びますね。
やっぱり高島さんは、住空間にも豊かさがありますし、秋刀魚ひとつとっても、そこに豊かさを感じさせる。それは結局のところ、何なのでしょうか。
ひとつの事象に対して、どう楽しむかということだと思うんですよね。
ただ秋刀魚を美味しく食べるだけじゃなくて、そこに楽しみを見出すんですね。
ちなみに選手権は高島さんが主催なのですか?
勝手にやってます(笑)。まあ、「非日常」のものごとはお金払えば手に入りますが、その一方で「日常を楽しむ」のもまた、実に大事だと思うんです。
「人生は日常の積み重ね」ですもんね。日常が楽しければ人生も楽しくなる、と。
日常を楽しむうえでは、いろんなことが問われる気がしてます。
それは努力かもしれませんし、常にアンテナを張ることかもしれませんし、自分の心持ちかもしれません。
不躾な質問なんですが、どうしたら私たちも、高島さんと同じように日常を楽しんでいけるようになるのでしょうか。
まあ、今は時間的に余裕があるので。
忙しいと昼飯なんて近所の中華屋でいいや、というふうに「補給する飯」になるんですが、
時間があると、今日はどこに行こうかな、あそこまで遠出してみようかな、ってなるじゃないですか。
あそこの天丼食べたいな、とか。同じランチでも、栄養補給として食べるのと、楽しみながら食べるのでは、ずいぶんと違うんじゃないかと。
なるほど。
そういう捉え方ができると、いろんなことが楽しめるんじゃないかなと思います。
高島さん、よく自炊されてますよね。休日のご飯とか。
どんな料理がお好きですか。
自分で作るのはおかずですね。スーパー行って、この魚をどう料理しようかなって。
捌くところからですか?。
できれば、そうですね。
サバなんて、自分で三枚おろしにして味噌煮とか作ったら全然違いますよね。値段も安く済みますし。
髙島さんが日常の食生活を豊かにするのは、それが積み重なっていくと、また違う豊かさに到達する、みたいなこともあったりしますか?
なんていうか・・・・・・。どうせ飯食うならっていう感じですね。そういう日々を過ごすことが、つまりは豊かなことなのじゃないかと。
昼ご飯ひとつも、人生の機会を無駄にしないという話ですね。
吉野家の牛丼だって、ゴージャスな食べ方があるんですよ。
どうするんですか?
牛丼の大きさは「並」でよくて、それに別で牛皿を注文するんです。
あとは、卵と味噌汁も頼みます。そうしたら、まずは卵を半分だけ牛丼にかけて食べるんです。
そうすると、ご飯が残るので、その上にさらに牛皿をのせます。
追い牛肉みたいな感じですね(笑)。
そうそう。かなり贅沢な食べ方ですが、それでだいたい7〜800円です。これで、めちゃくちゃ豪華な気分になれる。
どこに楽しみを見出すか。前のめりにではなく、そこにあるものから考えていけることこそ、豊かな感じがします。