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Epicurean=発見の悦びに溢れる人生を

私はこれまでラグジュアリー男性ライフスタイル誌の副編集長という役職をつうじて、日本では、日本人が知らない「人生の豊かさ」があることを数え切れないほど自分自身が体験してきました。
決して、贅沢や高級ということではありません。自分の心にどんな変化が与えられ、今まで見えなかった世界に興奮を覚え、人生を楽しむ幅が広がること、それが「人生の豊かさ」だと思っています。そのきっかけになるものは1000万円の時計ではなく、1本のみかんジュースだった、ということも大いにあり得ます。
もちろん、それはただのみかんジュースではありません。みかん自体にも、ジュースにする工程にも、作る人にも、心を打つストーリーがあり、共感する自分がいて、「飲んでみたい!」という衝動を抑えきれないジュースです。

エピキュリアンは、そんなジュースのような、私がこれまでに知り合った特別な人たちとの絆から得たモノやコトを、会員に紹介し、実際に体験できるようにしています。ただ紹介するだけでなく、体験できることが、エピキュリアンの存在意義です。
あまりにも情報が溢れている現在、「あ、いいな」と思っても3歩歩けば違う情報が目の前に現れます。あっという間に「いいな」という気持ちは埋没してしまい、10歩歩けばそれが何だったか思い出せなくなります。そうやって人生を豊かにする機会を失くしてしまうことは本当にもったいないことだと私は思うのです。

「いつかはクラウン」というCMのコピーがありました。戦後の高度成長時には日本人の「夢」や「成功」はひとつのモデルしかありませんでした。クラウンを買ったら、次は外車、次はもっと高い外車。つまり、価値の定まったモノを手に入れることで、自分のステイタスを測ってきたのです。そうやってモノに依存してきた果てに、今、大人たちの間では「欲しいものがない」という声が溢れています。
果たして本当にそうなのでしょうか? 自分の見えている範囲に自分の心が動かされるものがないだけではないですか? だから、エピキュリアンは人々のそれぞれの「範囲=世界」になかったものを提示します。そして、訴えかけます。「これを体験したら、あなたのいる世界が変わりますよ」と。

最後に、自分が楽しめるものを、周りを気にせず自分の気持ちに素直に体験することが、人としての成熟であり、人生の多様性だと私は思います。そんな成熟した大人が増えることが、その国の文化を成熟させるのだと信じています。
エピキュリアンは日本の文化を成熟させる核となるものだと信じています。