最後の質問です。この鼎談は「豊かさ」がテーマではあるんですが、その言葉を使わずにここまで話を聞いてきました。
「豊かさ」は軽々しく使う言葉ではないし、エピキュリアンのキーワードでもあるからです。
そして最後に野川さんに伺いたいのは、つくり手としてでも、一人の人としてでも構いません、「豊さ」とは、なんでしょうね?
一言でうまく言えないんですけど、私は東京の大学を卒業して3年間サラリーマンを経験して、
家業に戻ってきて丸3年が経ちます。
「豊かさ」を意識するようになったのは、ここに帰ってきてからなんです。
東京にいた時は、周囲にいろんなものがあって刺激も多かったですが、ノイズも多かったかと。
実家に戻り、ものづくりをしながら、日常で使うものをつくってきました。
そうすると、自分自身が生活していても、「これを着たら」とか「これを食べたら」とか、人生の充足感が全然違うと思ったんです。
食べるものも使うものも、身の回りのものを、いかに自分の直感に合ったものを選んでいるかが、人生の豊さに繋がると思いました。
自ら選択して知るという自律的な審美眼というか、それができる人が僕から見ても豊かな人だと思います。
エピキュリアンのサイトにも私が書いていますけど、自分軸をしっかり持っている人。
それは別に正しいとか、正しくないとか、そういう話ではありません。
例えば工業製品ばっかり選んでも、それがその人の軸であればそれで良い。
自分軸を持ってて、その軸に合うものを自発的に選んで生活しているのはすごく豊かなこと。
知名度とか格付けに影響されず、周囲から自分がどう見られるかとか見栄とかとか一切なく、生活を楽しむことですね。
それは、経験をしないと相対的に分からないと思います。
私も東京で暮らした経験があるので、相対的に今の生活が豊かで幸せだと思えるようになって、
自分には合ってたというのに気づきました。色々と経験しないと分からないですよね。
僕らが存在を知らなかったものがエピキュリアンのプログラムにはあって、
知らなかったけど、「これは自分のものだ!」って気づけるんですね。
自分に合ってるかどうかは、実際に買ったりやってみないと分からないですしね。
このガーゼタオルがすごく良いものかどうかは人によっても違うと思います。
その人に合っていれば最高だし、合わなかったとしたら、また違うものを探せば良い。
そうやって、「経験」していくこと自体を楽しめたら、日々がどんどん豊かになると思います。
こうしたプロセスそのものもまた、豊かな時間であるかもしれませんね。