Epicurean

実用性を経て創出される美しさ

北村 なぜ手作業でつくるのですか? どうして20回も藍につける必要があるのでしょう?

野川 まず回数の話で言うと、白い糸を染める時、一番最初は一番歳をとった藍につけて淡い色で染めるんです。薄い色は、藍をとった甕にしか出せないんですよ。

米澤 その一番薄い色の名前を甕覗(かめのぞき)って言うんです。そこから濃くなっていく段階ごとに色の名前がついていて、日本人の色に対する繊細さとネーミングセンスに感動します。

野川 そうなんです。そこから、より濃い色に染めようとする時に、少しずつ若い藍に移動していきます。若い藍の方が染める力が強くて、濃い色が出るんです。

北村 なるほど! 生命力に溢れている、ということなんですね。

野川 そうですね。ただし、私たちは最初から若い藍につけません。というのも、例えば、藍染の商品の経年変化を楽しめるのは、歳をとった藍から若い藍で染めていくことで、少しずつ色が抜けて逆戻りしていく過程を経るんです。若い藍で染めただけだと、色落ちした時にすぐ白く戻ります。

北村 濃い色が出るからといって若い藍だけで染めたら、経年変化の中での良い風合いは現れないんですね。

野川 藍液につけて空気に触れて酸化したときに青い色がでるのですが、その工程を経れば経るほど藍の成分が多くなります。若い藍液に少しつけるのと、歳をとった藍液から順につけて20回、30回と染めれば、植物の成分そのものがたくさん繊維の中に入っていくんです。それにより肌触りとか風合いが変わりますし、特に糸の場合だと強度が増したりもします。

米澤 エピキュリアンのガーゼタオルも、染めてない生成りの生地を13回染めていますが、ボリュームが1.5倍になるんです。藍が繊維にたくさん入って膨らむので、ふっかふかになります。

北村 しかも、それが風合いとか味とか観念めいた話ではなく、機能としての優れたものになるわけですね。

野川 その通りです。エピキュリアンのガーゼタオルは木綿ですが、実は、麻とか絹と違って木綿には抗菌作用がほとんどありません。それを、もともと漢方にも使われていた蓼藍で染めることで様々な効果が備わるのを、昔の人は経験から知っていたんですね。

北村 エピキュリアンのガーゼタオルは、みなさんどのように使っているのですか?

米澤 バスタオルに使ってる人もいれば、タオルケットのかわりの夏掛けとか。アトピーとか、皮膚病にも効くと言われています。皮膚から生理吸収するので、汗をかけばかくほど良いですよね。

北村 なるほど。なんで藍でなければいけないのかと、思っていたんです。極端な話、色や風合いがあれば、ただの絵具だって良いはずですが、藍であることに意味があるんですね。

野川 昔の人は、美しいからみんなが藍色を着てたわけではないんです。であれば、今でも普段着は藍色になっているはず。でも、洗剤がなかった時代に水洗いだけでも臭いがつきにくいとか、抗菌性があって体に良いとか、生活の中で実利的に意味を感じていたから普及していたんですよね。

北村 それが必要だからそのプロダクトが成り立っていて、そこには自ずと美が創出される。しかも、風合いが良くなっていてより良い、ということなのですね。ちなみに、国産の藍である理由はあるのですか?

野川 藍にも色々と種類があります。日本でも、蓼藍と琉球藍というものがありますが、植物の種類が蓼科とキツネノマゴ科で違うんですよ。インドのインド藍はマメ科ですし、ヨーロッパのウォードもまた種類が異なります。ただ、植物の中に入っている色を出す成分は、「インジカン」といって共通のものです。

米澤 いわゆる、インディゴですよね。

野川 そうです。色を出す成分は一緒でも植物の成分が違うので、染めに至る過程が全然違います。蓼藍は刈り取った蓼を筵(むしろ)に入れて100日間かけて、17回も水うちと切り返しを繰り返しながら発酵を促して、蒅(すくも)にします。

 一方で、インド藍をもとにしたインジカンという成分が科学的に合成できるようになり、それをアルカリ性条件下で還元して、簡単に青色で染色する技術が大正時代くらいに世界中に普及しました。 それで、日本の藍の原料をつくる産業が大きな打撃を受けたんです。武州藍もなくなりましたし、徳島だけがかろうじて残りました。ヨーロッパは消滅しましたね。インドも産業としての利便性は、インディゴ染めの方が勝りました。

米澤 工業製品にとって変わられてしまったのですね。

野川 ただ、インディゴ染めは染料を入れて溶かすだけなので、当然、他の成分は全く入っていません。それは産業としてみんなが目指した方向性なので、とやかく言うことではないのですが、日本人がその当時感じていた実利的な意味はないですよね。

北村 野川さんのところも、5代目に到達せずに店じまいする選択肢もあったかと思うのですが、それでもなお、5代目として継ぐのはなぜですか?

野川 ちょうど3代目の時に、工業化社会への強い流れがありましたが、産業として剣道の需要はまだまだ大きく、そちらで勝負ができるという状況の時に、アイデンティティの一つである天然藍を使ったやり方を捨てなかったのが分岐点かもしれません。

 それが今になり、明らかな強みの一つになっています。もともと多くの日本人に愛されていた時代の、身に付けて分かる藍染の良さを、今の日本に伝えられる産業の一つだと。それを糸で染めたり、機織りした生地を製造したり、幅広く手掛けられるこの産業を絶やしては、昔の日本人に失礼だし絶やしてはいけない魅力だと思うので、続けていきたいですね。

北村 先日、全国に伝統工芸品のセレクトショップ展開する中川政七商店の会長、中川政七さんが「伝統工芸の世界が元気になれば、それに付随する色々なことが変わる」と話していたのを思い出しました。そして私は、地場産業は唯一無二と言い切る覚悟こそが必要と常々感じています。今の野川さんのお話がまさにそうで、他の産地がどのようにしようが、ご自身が5代目としてこれをやる。染める時、よそとの比較ではなくて、20回が良いとただただ確信しているからそれをやってるのですよね。

野川 そうですね。もともと限られた地域で行われていた藍染ですが、原料の蒅が商品経済に入っていったことで、日本各地でできるようになった。それが、より美しい着物にするための久留米絣になったり、岡山のデニムになったんですね。私たちも機織りをやっていますが、岡山で扱っているような、高密度のデニム生地を織るノウハウは私たちにはありません。私たちは、剣道着に用いられる刺し子生地やそれをベースにした織柄を生み出すことができるのが強みなので、それを活かした商品提案で、日本人にも外国人にも価値が伝えられれば良いのかなと思います。

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